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福山城の魅力発見!〜福山城をとりまく文化ゾーンめぐり〜

掲載日:2009年11月1日
1 福山城築城
 瀬戸内中央に位置する福山の地に、水野勝成が元和5(1619)年に備後10万石の領主として入封し、海陸路の要地である芦田川のデルタに築いたのが福山城である。
 福山城は西国大名たちを牽制する「西国鎮衛」の役目をもち、京都伏見城の建物を移築するなど徳川幕府の援助を得て、元和8(1622)年に完成した。江戸時代築城の最後の最も完成された姿で、各層一間ずつ逓減する均整のとれたスタイルが特徴である。水野氏から松平氏、阿部氏までの歴代藩主の藩治の中心になっていた福山城は、廃藩置県に伴い、明治6(1873)年に廃城となった。

2 天守閣
 福山城は、五層六階地下一階、別に二層三階の付櫓をもつ複合天守である。
 元和偃武(げんなえんぶ)という太平の世の築城でありながら、実戦を念頭において築かれ、北面外壁は鉄板で覆い、厳重な防備を固めた天守閣であった。現在の復原された天守閣には鉄板がないが、北側から見るとその姿はとても美しい。山陽新幹線の車窓から見る南面とは違った雰囲気が楽しめる。

3 伏見櫓
 福山城は、伏見城や神辺城の建物が数多く移築されていた。伏見城から移築された「伏見櫓」からは安土桃山文化の気風がうかがわれる。白壁三層三階で、一・二層がほぼ同じ面積、同じ柱の数が使用されており、大型でどっしりとした風格は、天守閣に見間違えるような造りである。解体修理の際に梁に陰刻が発見され、伏見城の確かな遺構として福山にのみ現存する貴重なものである。同じく伏見城から移築された「筋鉄御門」とともに国の重要文化財に指定されている。
 伏見櫓の北側には鐘櫓がある。城地内に所存するのは全国的に例がない。鐘櫓には時を告げる鐘が吊られ、緊急時武士を招集する太鼓が架けられていた。今は、ソーラーシステムにより、毎日4回時を告げ、その鐘の響きは市民に親しまれている。

4 石垣造りと剣豪
 福山城築城の縄張りや石垣造りに関わった人物に、剣豪で知られる宮本武蔵がいた。武蔵が築城奉行の中山将監に築城技術を指導し、福山城の石垣が造られたという資料が残っている。築城当時の石垣は福山城の西側(二の丸)に見ることができ、自然石は巧みに積みあげられ、技術水準の高さを物語っている。
 武蔵と勝成は大阪の陣の頃から深い交流があり、島原の乱では、勝成の長男 勝俊の守役・福山藩の大将として参陣している。また、築城の間は、中山将監の屋敷(三の丸、現ホテル用地)に逗留しており、この時、庭で腰を掛けた石が、福山城北側の備後護国神社境内に安置されている。

5 天守閣復原・福山城博物館
 福山大空襲により焼失した天守閣は、昭和41(1966)年、福山市制50周年事業として御湯殿、月見櫓とともに復原され、福山城博物館として公開、福山市の情報発信拠点となっている。階段を登るごとに福山の歴史と文化への時間旅行を楽しむことができ、最上階では福山市街をぐるり一望できる。
 博物館内では、歴代藩主の遺品や福山地方の歴史と文化に関する資料が展示されているが、勝成が使用した変兜「金箔押鯰尾形兜」に惹きつけられる、ぜひご覧いただきたい。
 最近の戦国武将ブームにより若者の姿も多いが、ありきたりの情報に満足できず詳しく知りたい人は、博物館受付で声を掛けると、ニーズにあった資料が提供され、スタッフから説明を聞くことができる。
 毎年11月3日の「文化の日」は、入館料無料で一般公開され、ボランティアによる解説が行われている。

6 福山開祖・水野勝成が遺したもの
 若き日から戦場を駆け回っていた勝成は、数々の武功をあげ、特に大阪夏の陣で一番旗をあげる活躍をした。勇猛果敢で不敗を誇っており、勝成の馬印を見ただけで逃げ帰る武将もいた。
 その一方、幼少の頃から書画・謡など文芸に親しみ、「能・八島」を好んだ。伏見城から移築した豊臣秀吉愛用の組立式能舞台(現在は鞆の沼名前神社所有)で、自らも舞を披露していたという。
 勝成の藩政は、民衆の暮らしを考えたまちづくりを行い、上水道の設置(全国で2番目に早い)、地子銭(現在の固定資産税)の免除、寺社復興、産業の奨励など数々の業績があげられる。勝成は、沿岸部における製塩のほか、干拓によって塩分が残る土地に藺草や綿花の生産・奨励を行ったことにより、備後畳表や木綿が今もこの地域の特産品となっている。
 福山城の北隣にある福山市の福寿会館(迎賓館、茶会や琴尺八・和歌俳句の会などの貸会場)では、勝成が好んで食したクワイやうずみ(秋にとれた初物の具がたくさん入った汁にごはんをのせた料理)などの郷土食を味わい、天守閣を望むことができる。
 また、福山弁の語尾に「みぁ〜」「にゃ〜」といった拗音がつくのは、三河国岡崎(愛知県岡崎市)出身の勝成によってこの地に広まったといわれ、福山市と岡崎市は姉妹都市となっている。福山城の東側広場には勝成の銅像が立ち、市民に愛されている。

(取材協力)  
 福山城博物館学芸担当   井上節子様
 水野勝成公報恩会事務局 三村悦子様

                   (福山分室 津川)

福山城博物館ホームページ 

〜福山城をとりまく文化ゾーンめぐりのご案内〜
 福山城の周辺には、多くの文化施設が建ち並ぶ。
 勝成が隠居生活を送った三の丸跡には広島県立歴史博物館・ふくやま美術館があり、その北側にはふくやま文学館が建ち、福山の歴史・文化が感じられる。

<11月に開催される催物>
*「福山城博物館」 
  伊能忠敬の内弟子筆頭箱田良助と榎本武揚(〜11/23)
*「広島県立歴史博物館」
  開館20周年記念特別企画展 平家一門の栄華と瀬戸内海
   ―海原を駆け抜けた清盛の夢―(〜11/23)
*「ふくやま美術館」 
  イタリアの印象派 マッキアイオーリ展(〜11/29)
*「ふくやま文学館」 
  福山地方の詩と童謡(〜12/13)

福山城 天守閣


福山城 伏見櫓(重文)


水野勝成像(県重文)